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教育長あいさつ令和2年1月号

 

教育長あいさつ

 

 

                      S君のこと

 

 新しい年が始まりました。皆さん善き新年を迎えられたことと思います。

 

 毎年必ず届く教え子やその親からの年賀状があります。S君もその一人。私は彼の担任を3年間務めました。しかしその間、彼の顔を見て話ができたのは1年生4月のたった一か月だけ。それはなぜか。不登校生徒だったからです。

 

 小学校5年生から登校できずにいた彼。中学校への入学を機に一念発起し、4月当初は頑張って登校していました。しかしエネルギーが枯渇してしまったのか徐々に休みがちになり、5月の連休後は不登校に逆戻りしてしまいました。この失敗体験が大きな痛手となってしまったのでしょう。家庭内でも自室に引きこもる状態になってしまったようです。

 

 彼は自分自身や周囲の眼と戦いながら、相当な勇気をもって、この一か月間を過ごしていたのでしょう。こんな思いを抱いていた彼に、担任としてもっとできることがあったはず、彼にかけてあげる言葉があったはず、背負う荷物を減らしてあげられるようなことができたはず…。反省しました。

 

 だから…、というわけではないのですが、担任として最低週に一度は家庭訪問をしようと心に決めました。彼の家はちょうど学校と駅との間あって、退勤後に立ち寄ることができます。学級通信やら授業のワークシートやらをもって何かと理由をつけて訪問しました。玄関先で母親と立ち話をした後に、奥に向かって呼びかけます。「お~い、Sよ。ちょっと話でもしようや…」。「……」全く反応なし。毎週同じことの繰り返しでした。

 

 続けて担任となった2年、3年も全く状況は変わらず。一つ違うとすれば「もう一度登校させたい!」という私の願いを捨てたこと。粘り強く働きかければこちらを向いてくれるはずだ…、という思いはあまりに身勝手であることに気付き、彼との会話はあきらめ、母親との30秒くらいの立ち話に割り切ったこと。半ば習慣、半ば義務、半ば意地でした。だから3年間続けられたのかもしれません。

 

 結局、教室の彼の席は、2年と11か月の長きに渡り、主がいない状態となりました。卒業式の日、証書と共にいつもの通り彼の家を訪問しました。「Sよ、今日は卒業式だ。おめでとう」…。久しぶりに声をかけましたが部屋にいる彼は無言のまま。さすがに情けなさと無力感で一杯になったことを覚えています。

 

 数年後、とある駅前で見覚えのない一人の青年に声をかけられました。「ごめん、誰だったっけ…」、教師として一番恥ずかしい言葉を返したところ、「不登校だったSです」の答え。私の記憶にある、中学に入学したての青白い顔からは想像もつかないような引き締まった表情のSが目の前に立っていました。

 

 「悪かったな…、あの時は何もできなくて…」そういう私に対して、彼はこう言ってくれました。「そんなことないよ、先生は毎週必ず来てくれていたじゃないか」。訪問していた私の様子を部屋から覗いていたらしい。「先生が大声で自分の名前を呼ぶのは本当に嫌だったけれど、もう一方では自分は忘れ去られていないんだ、空気じゃないんだ…、と思うことができた」。彼にとって「忘れられる」ということは自分が生きていることを否定されること、社会から不要な人間だと思われていることに他ならなかったのです。

 私たち教師の役割は学級内の30人、40人の子供たちを教え、導き、かかわり、成長させることです。だからどうしても「先生と皆」という「一対全体」の視点で子供との関係を捉えがちです。それは決して間違っていません。なぜなら子供たちは年齢が上がるにつれ「集団の中での成長」のウエイトが高まっていきますし、「私だけを見て!」の想いをいつまでも抱き続けることは確実に自立を阻むからです。教育には「一対全体」の視点は不可欠なのです。

 

 しかし「一対全体」の視点だけでは一人一人の子供が抱える課題を知ることはできないことも真実です。A君が算数を苦手としてしまったきっかけも、Bさんがいじめを働いてしまう理由も、C君が不登校になった背景も「一対個」の視点がなければ絶対に見えてこないのです。

 

 特に心が傷ついた子供たちは「私と先生」の「一対個」の関係性を心から願っているのです。「私の苦しみを分かってほしい!」「自分のことを忘れないでいてほしい!」と声なき声を上げているのです。

 

 S君は中学卒業後もなかなか不登校が改善されずにいましたが、その後、同じような境遇の若者が集まるサークルに参加。一念発起して大検を受検し合格。充実した大学生活を送っていると瞳を輝かせて語ってくれました。

 

 私との偶然の出会いの後、彼は毎年、年賀状を届けてくれるようになりました。不登校の経験が生かせれば…、との思いで教職を目指そうと心に決めたこと、採用試験に落ちてしまったこと、でも諦めきれずに時間講師をしていること、念願かなって試験に合格し、中学校に配置が決まったこと、自分と同じような不登校の生徒を受け持ったこと、生活指導主任を任されたこと、へき地に異動して教育の原点を見つめ直すことができたこと…。そして毎年、「先生のおかげです」の一言で締めくくられている20通近い年賀状は私の宝です。

 

 各校で3学期が始まりました。大小、多少の違いはあれ、子供たちの誰もが「新年の抱負」「新たな志」を抱いて登校してきます。それらは内容も、背景も、かける思いや願いもすべて一人一人違うもの。清瀬の先生方は、「一対全体」の視点の中にも「一対個」の関係を大切にしながら、必ずや一人一人の心に寄り添ってくれることでしょう。

 

 5,600人の子どもたち、先生方、そして全ての清瀬市民の皆さんにとって素晴らしき一年となることを心からお祈りいたします。本年も何卒よろしくお願いいたします。

教育長 坂田 篤
 

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